【蕪村菴俳諧帖58】芭蕉を支えた魚問屋
◆芭蕉庵の提供者
『俳家奇人談』に「その身魚家(ぎょか)にしてすこぶる富めり」と
紹介されている鯉屋杉風(こいやさんぷう:1647-1732)。
幕府御用達の魚屋の息子でしたから、
書かれているとおり、実際に裕福だったのでしょう。
若くして談林俳諧*に親しんでいましたが、
江戸に下ってきた芭蕉にいち早く師事し、
その後物心両面から生涯にわたって援助することになります。
深川の芭蕉庵も杉風が提供したものでした。
○みちのくのけふ関越えん 箱の海老
杉風は街中を売り歩く魚屋ではなくて、魚問屋でした。
箱詰めにして出荷した海老が、今日あたり
陸奥(みちのく)の関を越えただろうというのです。
商売そのまんまですが、おそらく作者が意識しているのは
『拾遺和歌集』にある平兼盛(たいらのかねもり)の歌。
たよりあらばいかで都へ告げやらむ けふ白河の関はこえぬと
夏場に海老は送れないので、季節は冬。
正月の飾り海老に使うために地方発送したのでしょう。
◆含蓄の発句たち
杉風は真面目で人情に厚く、多芸多趣味な人物だったそうです。
絵を描き、茶を楽しみ、禅にも親しんでいたといわれ、
句作品にもそれが反映されているようです。
○卯の花に ばつとまばゆき寐起哉
夏の朝、寝起きの目にまばゆいほどの卯の花が見えたのです。
夏といっても初夏ですから、庭は涼しく、
真っ白な花が朝日をうけて輝いていたのでしょう。
○手を懸けて 折らで過ぎ行く木槿哉
空に向かってまっすぐ伸びる木槿(むくげ)は、
盛夏から初秋にかけて庭や生垣を華やかに彩ります。
枝は強靭で容易には折れませんから、
手間どっているうちに気が変わったのかも。
些細なことのようにも思えますが、
折られまいとする枝の力に作者は驚き
あるがままを尊ぶ気持が起こったのではないでしょうか。
○蕣(あさがお)や 其日/\の花の出来
朝顔の花はその日その日で出来栄えがちがう。
字面だけ読めばそういう意味です。しかしそこは杉風、
花のわずかなちがいを愛でていたかも知れず、
ちがっていてもよい、ちがっているからよい、
とまで思っていたかも知れません。
*談林俳諧については【蕪村菴俳諧帖31】をご覧ください。