【蕪村菴俳諧帖68】風流か粋狂か
◆同好の士
蕪村門下の俳人道立(どうりゅう)にこのような句があります。
○梅がゝや 必人の来るあらん 道立
その自信の源となっているのは紀友則の次の歌でしょう。
きみならでたれにか見せむ梅の花 色をも香をも知る人ぞ知る (古今和歌集 春 友則)
あなた以外のだれに見せましょうか、この梅の花を。
梅の花の姿、香りの素晴らしさはわかる人だけがわかるのですと。
友則は梅の枝とともにこの歌を知人に届けました。
ほかの人はともかくあなたにはわかるだろうというのですから、 贈られた人は喜んだのかプレッシャーを感じたのか…。
それに対し道立は自分が確信しているだけですから、 だれにもプレッシャーをかけてはいません。
同好の士の来訪を待っているだけです。
○はつ雪や 内に居さうな人は誰 其角
待つのではなく出かけて行こうというのですが、 同好の士を求めているのは道立とおなじです。
楽しみを分かち合いたい、その相手はだれだろう。
其角は「常に酒を飲んでその醒めたるを見ることなし」と 『俳家奇人談』に書かれたくらいの人物ですから、 雪の友がだれであれ、素面(しらふ)で 楽しむことはなかったでしょう。
◆雪もわがもの
さて、同好の士が容易に見つかるとは限らなかったらしく、
こんな怒りの句を詠んだ人もいます。
○初雪や 道がわるいとぬかしおる 竜眠
しかし、寝ていたのは子規本人でした。
子規はこのとき病床に臥せっていたのです。
江戸の俳人竜眠(りゅうみん)の句。 来訪者でしょうか、初雪の風情を愛でるどころか、 ぬかるんで道が悪いと愚痴をこぼしたというのです。
道が悪いとぬかした人物からすれば、 雪が降ったていどで喜ぶとは粋狂な奴だと いったところでしょう。
望ましいのはこう言ってくれる人だったのでは。
○見足ぬを はつ雪とこそ申なれ 雅因
京都島原の雅因(がいん)は蕪村と交流のあった人物で 妓楼(ぎろう=遊女屋)の主人でした。
最後に其角のよく知られた一句。
○我雪とおもへばかろし 笠の上 其角
もちろん上記の句から生まれた慣用句ですが、 其角は禅の漢詩をヒントにしていたようなので、 慣用句の解釈は正しいのかもしれません。
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