【蕪村菴俳諧帖66】稲作を詠む

■稲の妻

地球上の生物のもととなったアミノ酸は地球外からもたらされた。
誕生したばかりの地球は高熱でアミノ酸は存在できなかったが、 地球全体が冷めて海や大陸ができたころ、 小惑星の衝突によってアミノ酸がもたらされたのだ。

これは五十年前にはすでに定着していた考え方でした。
その証拠を持ち帰ったのが日本のはやぶさ探査機。 仮説は立証されたようですが、 アミノ酸は有機物ではあっても生物ではなく、 まず蛋白質に変化しなければなりません。

五十年前に言われていた説のひとつが、 雷のエネルギーによって変化したというもので、 こちらは現在もさまざまな実験が繰り返されています。

さて、稲妻、稲光という言葉があるように、 雷が稲の生育に影響を及ぼすことを わたしたちの祖先は知っていました。

○苗代や ある夜見染し稲の妻 几董

田の一画を小さく区切って水を引き、 種籾(たねもみ)を蒔いて苗を育てるのが苗代(なわしろ)。
去年のある夜、稲妻が稲を見初めた。 その結果稲が稔り、今年の苗代になっているのだと。


◆稲作という日常

苗が育ってくると田植の準備、代掻(しろかき)です。
冬のあいだに固くなっていた田の土を 水を入れてほぐし、平らにする作業。
耕耘機(こううんき)のない時代は牛や馬が動力でした。

○代かくや ふり返りつゝ子もち馬 一茶

春に生んだばかりの子がまだ小さいので、 母馬が馬鍬(まぐわ)を牽きながら振り返っているのです。

○手も足も口も只居ぬ 田植かな 九湖

村人の総出でおこなう田植えはにぎやかなものでした。
手も足も動いていますが、口も動きっぱなし。
田植えは神を迎える神事でもあったので、 神を称える田植唄が歌われ、時に笛や太鼓が加わることも。

○明月や うつむく物は稲ばかり 宗専
○稲むしろ 近江の国の広さ哉 浪化

稲が頭(こうべ)を垂れる秋。
稲の一面に伏した田を稲莚(いなむしろ)と呼ぶのですが、 近江の国はそれが見渡す限りの広さだというのです。

○竜王へ雨を戻すや おとし水 蕪村

稲刈りに備え、土を乾かすために 畦の一部を欠いて田の水を抜くのが落し水。
水神である竜王に雨乞いをして満たしてもらった水を、 お返ししますとばかりに流し去るのです。

○早稲刈て 晩稲も得たる心也 蕪村

早稲(わせ)が豊作だったのでしょう。
晩稲(おくて)の収穫はまだ先なのに、 すっかり満足げな人々の顔。

百人一首には天智天皇と経信(つねのぶ)の 稲作にまつわる歌が採られています。
しかし和歌に稲作を詠んだ作品は少なく、俳諧には及びません。
俳諧は民衆の文芸でした。作者が近いところにいたからこそ 多くの秀句が生まれたのでしょう。


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