【蕪村菴俳諧帖64】目細口細

◆織女は美女だった?

江戸の俳諧師立羽不角(たちばふかく)に このような七夕の句があります。

○七夕の目細はしらじ 七度食 不角

七夕(たなばた)の目細(めぼそ)は 七度食(しちどめし)を知らないだろう。
そういう意味なのはわかりますが、 七夕の目細とは何のことでしょう。
七度食ってどんな飯なのでしょう。

目細は目の細い人。しかし「七夕の」と限定されています。
「目細」に送り仮名をつけて「目細し」と書くと 「まぐわし」と読んで「美しい」という意味になるので、 これは織女のことだろうと推測できます。

「まぐわし」は古い言葉で、『万葉集』に用例が見られます。

下野(しもつけの)三毳(みかも)の山の小楢(こなら)のす 目(ま)ぐはし児(こ)ろは誰(た)が笥(け)か持たむ (万葉集巻十四3424 相聞)

下野(=現栃木県)の三毳山の小楢の木のようにきれいな子は 誰の食器を持つ(=妻になる)のだろう

次に七度食(しちどめし)というのは、 七月七日に七回沐浴し七回食事をする風習を指しています。
物の本によると子どもたちが行っていたという話ですが、 この日に身を清める意味があったのかもしれません。

さて、では織女と七度食がなぜ結びついたのか。
じつは江戸時代に「目細あれども口細(くちぼそ)はなし」 という諺(ことわざ)があったのです。
目の細い人はいるが食(しょく)の細い人はいない。 みんな本当は食いしん坊だというのです。

美しくて目細の織女は 地上の我々が七夕の日に七回も飯を食うのを ご存じあるまいと戯れているのですが、 多くの要素を無理やり結びつけたため難解になってしまっています。


◆願いの糸

七夕といえば、蕪村にこんな句があります。

○恋さまざま 願の糸も白きより 蕪村

少女が七夕の竹に飾る願いの糸。
まだ何色にも染まっていない白い糸を結んでいるのは、 初恋の願いだからでしょうか。

かわいらしい光景が目に浮かびますが、 白い糸に注目すると読みかたが変わってきます。

『蒙求(もうぎゅう)』という唐の初等教育書に 「墨子悲絲(ぼくしひし)」という話が載っています。
墨翟(ぼくてき)という人が白い糸を見て泣いた。 白い糸は黄色にも黒にも染まる。
人も教えや誘いによって 善にも悪にも染まってしまうではないかと。

『蒙求』は平安時代に日本に伝わり、 江戸時代まで教科書として用いられていました。
蕪村が願いの糸から「墨子悲絲」を連想したとしても 不思議はありません。

今は白い糸(=無垢な少女)が この先どんな色に染まっていくのか、この句には 行く末を案じる気持ちが詠み込まれているように思えます。


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