【蕪村菴俳諧帖61】御忌詣
◆知恩院御忌詣(ちおんいんぎょきもうで)
江戸時代、「大師(だいし)は弘法に奪われ、
太閤は秀吉に奪わる」という言葉がありました。
これは名誉や手柄を一人で独占してしまうことをいいます。
大師は朝廷が高僧に贈る尊称で、
最澄の伝教(でんぎょう)大師、円仁の慈覚(じかく)大師など
実際は二十人以上の大師がいます。
太閤は関白の職を子に譲った人物を指す言葉なので、
こちらも史上何人もの太閤が存在しました。
しかし一般には、大師といえば弘法大師空海、
太閤といえば豊臣秀吉ということになっていて、
大師も太閤もそれぞれ一人の人物が独占している状態です。
あまり知られていませんが、
京都とその周辺で独占状態になっているものがありました。
○なには女や 京を寒がる御忌詣 蕪村
御忌詣(ぎょきもうで)にやって来た難波の女性が 京都の早春を寒がっていると。
御忌はもともと高貴な人物や宗派の開祖の年忌を指します。
これがいつしか浄土宗の開祖法然上人の年忌をいうようになり、 御忌詣は京都知恩院の御忌に詣でることに限定されていきました。
正月十九日から二十五日までさまざまな法会(ほうえ)が催され、 京都では御忌の時期を一年の遊覧始め、 弁当始めなどと呼んでいました。
春の行楽シーズン到来を告げるものだったのです。
今では季節も一月から四月に移り、 知恩院以外の御忌もよく知られています。
◆観光客の行かない京都
宗教都市である京都は
江戸時代に入ると多くの観光客、信者たちでにぎわいました。
しかし蕪村の句を見ると、観光名所でも名刹でもない
身近な社寺の日常を採り上げたものが目立ちます。
○粟島へはだし参りや 春の飴 蕪村
下京宗徳寺境内にある淡島社への裸足(はだし)参り。
神仏への誠を示すために裸足で百度参りする姿が、
春雨に濡れて心惹かれる風情だったのでしょう。
○畠打つや 峯の御坊の鶏の声 蕪村
そこに山の御坊(ごぼう=寺)で飼っている 鷄(とり=にわとり)の声が聞こえてくる。
半ば自給自足で静かに暮らしている山寺が思い浮かびます。
○親法師子法師も 稲を担ひゆく 蕪村
寺の田で刈った稲束を背負う親の法師のあとを 子どもの法師がおなじようにしてついていくのです。
日常に詩情を見いだす、蕪村らしい句。
都に住んでいたからこその視点かもしれません。