【蕪村菴俳諧帖57】袷は夏の着物
◆蕪村への届け物
四月一日、蕪村のもとに旧知の女性から届け物がありました。
蕪村はこのように記しています。
相しれる女のもとより けふは卯月の朔日にて侍れば此ものまいらすとて 古ききぬのわたぬきたるに文を添てをくれり はつか世にある老の身にしもさすがこゝろざしのうれしければ
○橘のかごとがましき袷(あわせ)哉
古い衣(きぬ=着物)の綿を抜いたものに文(ふみ=手紙)を添えてあり、 僅か(はつか=ようやく、かろうじて)生きている自分のような老人にもさすがにうれしかったと。
旧暦四月朔日(ついたち)は更衣(ころもがえ)の日でした。
冬の綿入れを脱いで夏の着物に替えるのですが、
庶民は綿入れから綿を抜いて夏の着物にしていました。
裏地のついた袷(あわせ)仕立てというもので、
裏と表のあいだに綿を入れたり抜いたりして使いまわしたのです。
袷は夏の季語であり、綿の入っていない、
裏地をつけただけの着物を指します。
綿を抜いて着るので綿抜(わたぬき)とも呼び、これも季語。
ちなみに裏地をつけない着物は単衣(ひとえ)です。
蕪村の句は「橘の香」と 「かごとがまし(=恨みがましい)」を掛けており、 『古今和歌集』のこの歌が念頭にあったと思われます。
五月待つ花橘の香をかげば 昔の人の袖の香ぞする
袷を届けてくれた女性とのつきあいの長さを思わせます。
この歌は『和泉式部日記』にも引用されており、
恋人だったかのように思わせるところが蕪村のユーモア。
◆袷を詠む蕪村
蕪村はほかにこのような袷の句を詠んでいます。
○たのもしき 矢数のぬしの袷哉
矢数(やかず)は京都三十三間堂で行われた弓の競技。
通し矢ともいい、お堂の縁上で
およそ百二十メートルの距離にある的を狙い、
一昼夜で何本の矢を的中させるかを競いました。
矢数に挑戦するたくましい男が袷を着ている。
その姿がたのもしく見えたのでしょう。
○西行は死そこなふて 袷かな
西行は如月の望月のころに死にたいと歌に詠んでいたはず。
それが死にそこなって更衣の季節になり、
袷を着ているというのです。
○袷着て 身は世にありのすさび哉
「在(あ)りの遊(すさ)び」は生きていることに慣れて
なんとも思わなくなること。
「世にあり」と掛詞になっており、
更衣で袷に着替えても何の感慨もなく、
これまで通りのんびり生きているというのです。
自分は怠惰な暮らしをしているという謙遜にも見え、
すでに達観して落ち着いた境地だよと言っているようにも
思えるのが面白いところです。