【蕪村菴俳諧帖54】蕪村と茶の湯
◆江戸のお稽古ブーム
古典落語には稽古事(けいこごと)、習い事をする
町人が出てくる話がいくつかあります。
なかには不埒(ふらち)な動機で稽古に通う者もいて、
目立ちたい、モテたいからとか、女師匠が色っぽいからとか…。
これは実際にもあったことだそうで、
長続きしないのは目に見えているため
女師匠も本格的に教えるつもりはなく、
月謝だけはしっかりいただいて適当にあしらっていたとも。
稽古事がブームになったのは
京都あたりが最初だろうといわれています。
富裕な町人層が趣味として、あるいは教養を身につけるために
茶の湯、生け花、香道や書道、俳諧、漢詩、
舞踊、音曲(おんぎょく=邦楽)などを学ぶようになったのです。
これが江戸に波及していくと、
宴会で目立つための芸を身につけようとする男たちが集まることに。
ウケるには歌うか、踊るか、三味線を弾くかだというので、
町内の稽古屋からはいつも当時流行の歌が聞こえていたそうです。
とはいえ著名な学者の講義を聴きに行く
インテリ町人もいなかったわけではないので、
江戸っ子の名誉のために申し添えておきます。
江戸時代は町民が意識的に趣味をもつようになった時代であり、
これらの稽古事もそのひとつだったと考えられます。
◆季節季節のお茶の会
蕪村最大の趣味は芝居見物。 しかしその一方で蕪村はたびたび茶の湯を楽しんでおり、 弟子や友人たちと茶会を催したり、 人から招かれたりもしていました。
○口切や 湯気たゞならぬ台所 蕪村
口切りは新茶を入れた茶壺の封を切ること。
十月初旬に新茶の口切りをして「口切りの茶事」が行われます。
室内が冷えていて茶釜の湯気が充満しているのでしょう。
蕪村が使ったのは京都三条の京釜(きょうがま)だったかもしれません。
○炉開や 裏町かけて角屋しき 蕪村
炉開きは十月亥の日の行事でした。
席上で使う風炉(ふろ)を閉じて床に切った地炉(ちろ)を開き、
客を呼んで茶会を催します。三月末に再び
地炉にふたをして風炉を使い始めるのが炉塞(ろふさ)ぎです。
角屋敷は四つ角にある富裕な町人の家のことで、
主(あるじ)は将軍に拝謁する特権が与えられていました。
そういう町の名士の屋敷で行われる茶会ですから、
お歴々がそろったおごそかなものだったことでしょう。
○炉ふさぎや 旅に一人は老の友 召波
蕪村の弟子召波(しょうは)の句です。
炉をふさぐと四月。初夏の旅に出かけるにあたり、
慣れた友人をひとりは伴いたいものだと。
茶の湯の言葉「炉塞ぎ」が季節の転換を見事に表していますね。
蕪村一派には茶の湯を詠んだ句が多く、
茶の湯がかれらの生活に根付いていたことをうかがわせます。