【蕪村菴俳諧帖52】鳴かぬ螢に思いを託す
◆恋する螢
恋に焦がれて鳴く蝉(せみ)よりも 鳴かぬ螢(ほたる)が身を焦がす♪
この歌、どこかで聞いたなと思われる方も多いでしょう。
江戸時代以前から知られていたそうですが、かつては
昼は蝉が、夜は螢が、代表的な夏の虫だったことがうかがえます。
歌の作者は不明。しかし そのルーツかもしれない歌が『古今和歌集』に載っています。
あけたてば蝉のをりはへなきくらし 夜は螢の燃えこそわたれ
(古今和歌集 恋 よみ人知らず)
夜が明ければ蝉のようにをりはへ(=ずっと)泣き暮らし、
夜になれば螢のように恋の思いが燃えつづけると、
せつない恋が詠われています。
ここ数年、温暖化の影響で、南国の蝉だったクマゼミが
関東以北でも見られるようになっています。
生態系が変化してきているのでしょう。
一方の螢はそれより早くから各地で激減しており、
夏の虫の代表というには心もとない状況に…。
鳴かぬ螢も、じつは嘆いているのかもしれません。
◆望郷の螢
俳諧では螢を恋に結びつけた例はほとんどゼロ。
庶民の文芸らしい、日常生活に寄り添った内容が多いようです。
○蚊遣火の烟にそるゝ ほたるかな 許六
○闇の夜や 子供泣き出す螢ぶね 凡兆
○盃に散れや 糺のとぶほたる 一茶
許六(きょりく)の句は蚊を追い払うためにいぶす蚊遣火(かやりび)。
その烟(けむり)に、追い払うつもりのない螢までが
逸れていってしまったというのです。
凡兆(ぼんちょう)の句は螢狩りの場面。
闇夜の川に船を出して、子ども連れで螢を見に行ったものの、
幼すぎる子どもが暗さにおびえて泣いてしまったようです。
一茶の句は京都下鴨神社の糺(ただす)の森。
古くから納涼スポットとして親しまれていたそうですが、
森を流れる御手洗川の螢も有名でした。
蕪村にももちろん、いくつもの螢の句があります。
ただその中に、恋の歌をヒントにしたものが。
○水底の草にこがるゝ ほたる哉 蕪村
螢が水草に焦がれるのは、それが自分のふるさとだから。
ゲンジボタルやヘイケボタルは水中で幼虫期を過ごします。
蕪村ははるかな幼い日々を懐かしんで、
清流の上を飛ぶ螢に自身の望郷の思いを重ねたのでしょう。
本歌ではないかと思われる和歌はこちら。
水底に生ふる玉藻のうちなびき 心を寄せて恋ふるころかな
(拾遺和歌集 恋 人麻呂)
玉藻(たまも)は水草の美称。
川底に生えている水草が流れのままに揺れ動くように
今のわたしはあなたに恋して揺れる思いでいるのですと。
螢とは関係のない、柿本人麻呂の恋の歌です。
人麻呂は水底の草から揺れる恋心を導き出したわけですが、 蕪村の句では水草を見ているのが人間ではなくて螢になっています。
着想を借りていながら、
じつはまったく異なる内容の句になっている…。
蕪村の望郷の念は巧みなユーモアに包まれているのです。