【蕪村菴俳諧帖50】そうだ京都へ行こう

◆名産京鹿の子

安永六年(1777年)のこと、 暑からず寒からずの駿河の国から 夏の京都に旅行に来ていた二人の俳人、 蕪村との交遊を楽しんでいたのですが、 あまりの暑さに疲れはて、早々に帰り支度を始めてしまいました。

当時京都を訪れる俳人の多くは蕪村に挨拶をしに行ったといいますから、 この二人は友人でも知人でもなかったかもしれません。
それはともかく、まだ来たばかりじゃないかと思った蕪村、 二人にこんな句を贈りました。

○見のこすや 夏をまだらの京鹿子  蕪村

せっかく京見物に来たのだから、 急いで帰ってしまったら鹿子斑(かのこまだら)のように 夏の京都をあちこち見のこすことになりませんかというのです。

蕪村は『伊勢物語』にある駿河ゆかりの歌を引用しています。

○時知らぬ山は富士のね いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらむ (伊勢物語 第九段)

旧暦五月の末に詠んだとあり、 時季をわきまえない山は富士の嶺(ね)だ、 いったい今をいつだと思ってまだら模様に雪が降っているのだろうと。
都人(みやこびと)の驚きが伝わる歌ですね。

「鹿の子まだら」は鹿の背中の斑点のようなまだら模様を指します。
いっぽう蕪村の句の「京鹿子」は京都産の鹿の子絞りのこと。
正倉院宝物にもあるほど鹿の子絞りは古いものなのですが、 京都ではそれに「京」の字をつけ、名産品として売り出していました。
背景には江戸時代の旅行ブームがあったと考えられています。


◆京都ブランドの誕生

京都のブランド化は江戸時代に始まったそうです。
京鹿の子のほかにも京菓子、京呉服、京紅、京白粉(おしろい)、 さらには京袋物や京焼、京扇子、京人形など、 さまざまな商品に「京」の字が冠せられました。

京都は平安時代からものづくりの中心都市でしたから、 製造技術にもデザインにも長い伝統があります。
それを「京」の一文字でアピールしたわけです。

京都には「古都」イメージも味方してくれました。
歴史ある街を見に行こうという観光客が増えたのです。

また京都にはさまざまな宗派の本山があり、 遠忌(おんき=宗祖の遺徳をたたえる法要)のたびに 大勢の信者が集まりました。
信者たちももちろん京見物を楽しみ、飲み、食べ、 みやげとして京都ブランドの品物を買ってくれます。

けれども京都は観光都市への道を順調に歩んだわけではありません。
二度の大火で大きな損害を蒙ったのです。ことに 二度目の大火(1788年=蕪村没後)では壊滅的な被害を受けました。

それを救ったのが『都名所図会(ずえ)』という絵入りガイドブック。
これがベストセラーとなり、「そうだ、京都へ行こう」と 全国各地から観光客が押し寄せることになりました。

蕪村が長生きしていたら、 来客の応対に大わらわだったかもしれません。


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