【蕪村菴俳諧帖37】消えた風物詩
◆歳末の門付芸
かつては門付(かどづけ)といって、
人家の門前で芸を見せて金銭をもらう芸人たちがありました。
三河万歳や獅子舞、猿回しなどはご存知の方も多いでしょう。
江戸時代にはほかにも多種多様な門付があったのですが、
いつのまにかほとんどが姿を消してしまっています。
たとえば節季候(せきぞろ)。
○節季候の来て 一つ子の踊り哉 言水
節季候がやって来たら、生まれたばかりの子が
踊るようなしぐさで喜んでいるよ。
幼子(おさなご)も喜ぶ節季候。
元禄3年に刊行された図説職業づくし
『人倫訓蒙図彙(じんりんきんもうずい)』を見ると、
草鞋(わらじ)に脚絆(きゃはん)、着物の裾をたくし上げ、
頭巾(ずきん)を被った二人の旅芸人が描かれています。
節季候は師走の半ばを過ぎたころに現われ、
「せきぞろせきぞろ」と唱えて各戸をまわって歌い踊り、
米や金銭をもらって歩いたといいます。
「せきぞろ」は「節季(せっき)にそうろう」ですから、
「年末ですよ年末ですよ」と言っていることに。
残り少ない今年が無事に終わり、新年がよい年であるように、
めでたい言葉の数々を並べて祝福するのがかれらの芸でした。
○節気候や 弱りて帰る薮の中 尚白
疲れた節季候が帰っていくのは薮の中の貧しい住まい。
節季候は物乞いの一種で、最下層の人々が行っていました。
◆哀感の鉢たたき
節季候と同じく年末の風物詩だったのが鉢(はち)たたき。
空也の忌日(旧暦11月13日)から除夜までの間、
鉢や瓢箪(ひょうたん)をたたき、念仏を唱えてまわりました。
『人倫訓蒙図彙』によると、
念仏踊りを見せて布施を集めたり
茶筅(ちゃせん)を売ったりしていたようです。
○木のはしの坊主のはしや 鉢たゝき 蕪村
『枕草子』に 「ただ木のはしなどのやうに思ひたる」と書かれた僧の、 さらに端の僧が鉢たたきだと。
○子を寐せて出て行く闇や 鉢たゝき 蕪村
子どもを寝かしつけてから夜の闇の中に出かけていく鉢たたき。
昼は洛中をめぐり、夜は墓所をまわったといいます。
その生活を思いやった蕪村の句は
藤原兼輔(紫式部の曽祖父)の和歌が透けて見えるようです。
人の親の心は闇にあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな
(後撰集 雑 兼輔朝臣)