【蕪村菴俳諧帖35】嵐雪の蒲団
◆比喩の名作
以前に「猫の恋」の話に出てきた服部嵐雪(らんせつ:1654-1707)、
俳号は百人一首にある藤原公経(ふじわらのきんつね)の歌
「花さそふ嵐の庭の雪ならで」から採ったものだそうです。
さすが俳人というべきでしょうか。
その嵐雪の名が、蕪村の句に詠み込まれていました。
○嵐雪にふとん着せたり 雪の宿
雪の降る日、嵐雪に蒲団をかけてやったというのです。嵐雪は蕪村が生まれる10年ほど前に亡くなっているので、 実際は不可能な話。
この句は嵐雪の次の句を活かしたものです。
○蒲団着て寝たる姿や 東山
東山を一望した一句。竹内玄玄一(げんげんいち)はベストセラー『俳家奇人談』の中で 「譬喩(ひゆ)の句難し。この什温厚和平、じつに平安の景なるかな (たとえの句は難しい。この作品は温かみがあって穏やかであり、 じつに平和な風景である)」と賞賛しています。
◆その外の名はなくもがな
嵐雪は江戸に下級武士の子として生まれ、
常陸(ひたち)笠間の井上相模守に仕えたのち俳諧師となりました。
芭蕉の門下では榎本其角(きかく)と並び称される重鎮。
玄玄一の言うように温かみがあってわかりやすい句が多く、
「梅一輪 一輪ほどの暖かさ」は現代のわたしたちにもおなじみです。
玄玄一の評を参考にいくつか鑑賞してみましょう。
○黄菊白菊 その外の名はなくもがな
其角はこの句に感動して「われ生涯の菊の句これに及ばず」と述べ、 人に手本を示すのに師匠の句と嵐雪の句のみを示したといいます。玄玄一は記事中に芭蕉の菊の詠を紹介していませんが、 「白菊や 目に立てゝ見る塵もなし」のことでしょうか。
菊の栽培が盛んになり、 色も形もさまざまなものが生み出された江戸時代、 嵐雪は昔ながらの黄菊白菊に美しさを見い出していたようです。
新奇さを競う菊なんかいらないと。
其角が感服したのは、この句が単に 菊の好みを述べたにとどまらないと気づいたからでしょう。
○元日や 晴れてすゞめのものがたり
正月の句。雀のおしゃべりから 晴れやかで穏やかな正月気分がしてきます。玄玄一も祝賀の言葉がなくともめでたさを感じると評しています。
○君見よや わが手いるゝぞ茎の桶
玄玄一は「ソノ莫逆(ばくぎゃく)ヲ見ルニタレリ」と 難しいことを言っていますが、要するに親しい間柄のこと。大根や蕪(かぶ)の茎を漬けた桶に手を入れて、 あなたをもてなす茎菜を取り出しましょうというのです。
ご馳走でもなんでもないところに、客との親しさがあらわれています。
このようにほのぼのとした情感があるのが嵐雪の魅力です。