【蕪村菴俳諧帖34】老人七首

◆老人の心得


みんな昔は若かった。ああ、あれからン十年…。
冷静にわが身を振り返れば確実に年をとっているのに 人はなかなかそれを認めたがらないようです。

そういう人のために、 江戸中期の俳人横井也有(よこいやゆう:1702-1783年)が このような狂歌を遺しています。

○皺はよるほくろは出来る背はかゞむ あたまははげる毛は白くなる

○手はふるふ足はよろつく歯はぬける 耳は聞へず目はうとくなる

○よだたらす目しるをたらす鼻たらす とりはづしては小便ももる

○またしても同じ噂に孫自慢 達者じまんに若きしやれごと

○くどふなる気短かになる愚痴に成る 思ひつくこと皆古ふなる

○身に添ふは頭巾えり卷杖眼鏡 湯婆温石しゆびん孫の手

○聞きたがる死にともながる寂しがる 出しやばりたがる世話やきたがる

第三首の「とりはづす」は粗相をすること。
第六首にある湯婆(たんぽ)は湯たんぽのこと。
温石(をんじゃく)は焼き石。布に包んで懐炉(かいろ)にするもの。
しゅびん(溲瓶)は尿瓶のことで、いずれも老人の必需品。

この七首を鏡として自分の姿を映してみなさいと、
ご隠居也有はいうのです。そして、

宵寢朝寐昼寝ものぐさ物忘れ それこそよけれ世に立ぬ身は

「世に立たぬ」は世間に役立つ仕事がないことをいいます。
宵寝(よいね)もものぐさも物忘れも老人にはありがちですが、
わが身をかえりみずでしゃばるより、
あるがままに任せてぼーっとしていたほうがよいと。

◆物忘れのすすめも

也有の俳文集『鶉衣(うずらごろも)』に
「物忘れの翁の伝」という一文があります。

忘れ草の生える住吉あたりに住んでいるという翁、
健忘症などというものではなく、ただただ物覚えがよろしくない。
夕べに学んで翌朝には忘れ、
拳万(げんまん)をして手のひらに書いた約束も
水に流したように忘れ去るありさま。

しかしその翁、若いころはそれを恥ずかしいとも思ったが、
思いがけないよいこともあるものだと言います。

聞いた話を覚えていないので、
何度同じ話を聞かされてもそのつど面白く、
またその話かとうんざりすることがない。

春に読んだ本は秋には忘れているので、
幾度読んでも新たに読む心地がして飽きることがない。
ほんの少しの本があればいつまでも楽しめると。

物忘れを礼賛しているようにも思えますが、
也有はユーモアに包んで大切な心がけを説いているのかも。
それはもしかしたら人生をたのしむコツ、でしょうか。



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