【蕪村菴俳諧帖29】句を詠む禰宜

◆教科書になった教訓歌

山崎宗鑑とともに俳諧の始祖と称えられるのが 荒木田守武(あらきだもりたけ:1473-1549)という人物。
室町時代の後期、伊勢内宮の神官を務めながら 連歌師、俳諧師としても活動していました。

芭蕉や蕪村などから尊敬されていたのはもちろんですが、 連歌俳諧に興味のない人の間でも守武は知られていました。
それはかれの詠んだ歌が寺子屋などで 教科書として使われていたから。

どんなものなのか、いくつか抜粋してみましょう。

○世の中の親に孝ある人はたゞ 何につけてもたのもしきかな

○世の中はものゝ稽古をするがなる 富士のたかねに名をあげよ人

○世の中はいずれの道もしならいて 時の人数になりぬるぞよし

○虎にのりかたわれ舟にのれるとも 人の口にはのるな世の中

○天照す神の教へをそむかずば 人は世の中富貴繁昌

「人数」は「にんじゅ」と読みます。
何であれおのれの道に精進し、この道にこの人ありと 数えられるほどになれというのです。
「かたわれ舟」は「片割れ舟」で、沈みそうな船のこと。
危険を冒すのはやむをえない場合があるが、 人にだまされることのないようにせよという戒めです。

歌は全部で102首あり、すべてに「世の中」の文字が入っているため 通常『世の中百首』といい、内容が儒教的な教訓なので 別名『伊勢論語』とも呼ばれています。

当初は文字だけのものが流通していたようですが、 江戸時代になると『世中百首絵鈔』などの 序文、解説、図解の入ったものが何種類か出版され、 さらに広く普及していきました。

◆俳諧の質を高めた『守武千句』

俳諧作品を見てみると、 宗鑑の作品が猥雑なのに対し守武ははるかに上品、 笑わせればよいという滑稽一筋だった初期俳諧を 文芸の域にまで高めた功績が評価されています。

晩年に発表した『守武千句』は俳諧史上記念すべき作品集で、 千句という新たな形式を確立したもの。
独吟(どくぎん=すべての句を一人で作ること)によって 即興性を廃した一方で、推敲をかさねた、 鑑賞に堪える作品が収められています。

○飛梅や かるがるしくも神の春

第一巻巻頭の発句。
菅原道真の飛梅(とびうめ)伝説を踏まえたもので、
「かるがるし」は心の晴れやかなさまをいいます。

○青柳の まゆかく岸の額かな

美女の眉をあらわす柳眉(りゅうび)という言葉がありますね。
柳と眉とは昔から密接に結びついていたのですが、 その柳が風に揺れ、岸の突き出したところ(=額)に 眉を描いているように見えるというのです。
たおやかな春の情景が目に浮かぶ一句です。

※宗鑑についてはバックナンバー【蕪村菴俳諧帖5】を御覧ください。



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