【蕪村菴俳諧帖26】恋の発句
◆蕪村に恋の影?
蕪村は晩婚でしたが、
所帯をもつまでの四十数年の間に
どのような恋の遍歴があったのか、イマイチ謎のまま。
宴会が好き、酒が好きで堅物イメージのない蕪村ですから、
浮いた話は一つや二つではなかったはずですが…。
創作か実体験かはさておき、 蕪村の句には艶っぽい想像を誘うものがいくつかあり、 読んでいてついニヤリとさせられます。
○憂き人に 手を打たれたる砧かな
○関の戸に 水鶏のそら音なかり鳧(けり)
砧(きぬた)を打つのは庶民の女性の仕事。
板に布を広げ、木槌で打って艶を出す作業をいい、
古くから和歌などに詠まれてきました。
藤原雅経が「ふる里さむく衣うつなり」と
情感たっぷりに詠みあげたのが砧です。
ところが蕪村の句では、つれない女にちょっかいを出して 手を打たれたという、なんとも情けない話に。
「関の戸」の句は雅経と同じく百人一首にある、清少納言の
「夜をこめて鳥のそら音(ね)ははかるとも」を踏まえたもの。
水鶏(くいな)の鳴き声を真似しても関所の扉は開きませんよと、
関所のガードのかたさを強調しています。
扉が開かなければ夜が明けるまであなたと一緒にいられる…、
そんな意味が込められているように思えます。
◆死んでもよいとふぐを食い
○掛香をきのふ忘れぬ 妹がもと
○逢ぬ恋おもひ切ル夜や ふくと汁
「妹」は「いもうと」でなくて「いも」、つまり恋人。
恋人のところに携帯用の掛香(かけごう)を忘れてきたというのです。
お洒落なものを持ち歩いていたものだと感心しますが、
掛香は香を袋に入れて首に掛けるわけですから、
それをはずしていたということは…。
それに対して「逢(あわ)ぬ恋」は失恋の句。
逢えない恋をあきらめることにした。
今夜は腹をくくって鰒汁(ふくとしる)をいただくとしよう。
鰒(ふぐ)を食べるのは命がけだというので、
死んでもかまうものかという自暴自棄をユーモアに転じています。
もちろん本気じゃありません。
ちなみに上記四句はすべて50歳を過ぎてからのもの。
蕪村は既婚で子持ちです。
おそらく決められた題を詠む題詠(だいえい)だったのでしょう。
楽しんでいたことがうかがえる作品ばかりです。