【蕪村菴俳諧帖24】江戸誹諧と源氏物語
◆出版文化隆盛のたまもの
芭蕉の弟子、榎本其角(えのもときかく:1661-1707)の句集に
こんな句が載っています。
○惟光が厠(かわや)に持し扇哉
これは惟光(これみつ)が(虫でも追い払うために)
厠(トイレ)に持っていった扇だろうというのですが、
惟光が光源氏の従者だとわかった人は古典好き、
「夕顔」の巻で惟光が源氏に扇を手渡す場面まで思い出したら、
かなりの源氏ファン(←洒落ではなくて)でしょう。
夕顔の花をのせた扇は「いたうこがしたるを」とあり、
香を?きしめたためにかなり変色していました。
其角が見た扇も色が変わってしまっていたのでしょう。
それにしても厠に持っていったなんて、『源氏物語』には
そんな無粋なこと、どこにも書いてありません。
其角は一部の人しか笑えない句を詠んだのでしょうか。
いえいえこの冗談、当時はかなりの人に通じたと考えられます。
泰平の世、幕府の奨励もあって
庶民の読み書き能力は急速に向上していきました。
寺子屋が都市部を中心に増え、
市販の教科書などを用いて子供たちに読み書きが教えられたのです。
出版技術が向上して本が安価になったのも幸いしました。
副教材として『百人一首』や『源氏物語』を用いることも多く、
江戸時代の庶民はこれらの有名な古典に親しんでいたのです。
庶民の文芸でもあった誹諧に採り入れられるのは自然ななりゆきでした。
◆古代ロマンを詠う
蕪村の句にも『源氏物語』にちなんだものがあります。
○夕顔や 行燈(あんど)さげたる君は誰
○女倶(ぐ)して内裏拜まん おぼろ月
「夕顔や」の句、光源氏が夕顔の仮住まいを訪ねて
ここは誰が住んでいるのかと訊く場面を思い出します。
蕪村は薄暗がりに咲く夕顔を見て
はるかな王朝のロマンを連想したのですね。
「女倶して」の句は朧月夜の女君を念頭においているのでしょう。
女君は右大臣の娘ですが、源氏のせいで人生を狂わされてしまいます。
源氏も女君との禁断の恋が露見して須磨に退居するわけですが、
蕪村が夢想した女も、何かいわくのある人のようです。
○蚊帳の内に 朧月夜の内侍哉
これも朧月夜。
「花宴(はなのえん)」の巻で、ほろ酔いの源氏は
朧月夜の薄明かりの中で出逢った女君と契をむすびます。
内侍(ないし)というのは内裏の女官のことです。
蚊帳の中のあなたも朧月に照らされたようにぼんやりとしか見えず、
源氏が弘徽殿(こきでん)の細殿で見た女君のようだねと、
蕪村は『源氏物語』の一場面を引き合いに出して戯れたのです。
なんともお洒落で艶っぽい一句ですね。