【蕪村菴俳諧帖23】月並な俳句

◆月並の語源は蕪村?

今年(平成24年)は冬が長くて、各地で桜の開花が遅れました。
しかし安永7年(1778年)の桜は順調だったようで、 蕪村はこんな句を詠んでいます。

○初ざくら そのきさらぎの八日かな

西行の和歌「そのきさらぎの望月のころ」を踏まえており、 京都の俳諧師五雲の開いた月並(つきなみ)句会に寄せて詠んだもの。
もちろん旧暦ですから、如月といっても現在の3月くらいにあたります。

ありきたりでつまらないもののことを「つきなみ」といいますが、 もともと月並(月次とも)は毎月行われる行事をいう言葉で、 今ふうにいえば月例(げつれい)。
江戸時代、和歌や漢詩の同好の士が月例会を開いて 勉強会や発表会を行っていました。

それをまねて俳諧の月例会を始めたのが蕪村一派だという説があり、 同じ京都の三宅嘯山(しょうざん:1718-1801)だという説もあって、 実際ははっきりしないのですが、 たがいに影響を与えあっていたこの二人が 月並句合(つきなみくあわせ)を広めたのはたしかなようです。
毎月句題が出され、作者たちがそれぞれ投句(=投稿)して 撰者によい作品を選んでもらい、講評を受けるというもの。

しかしこれが大阪や江戸で大流行するようになると、 主催者には投句料かせぎの商売になってしまい、 参加者にとっては賞品欲しさの遊びに変化、 勉強会の真摯さが失われてしまったといいます。
参加者が素人中心だったこともわざわいしたようです。

正岡子規が「月並調」といってけなしたのは そのような月並句合に見られるレベルの低い俳諧、 ありきたりでつまらない作品のこと。
創始者かも知れないとはいえ、蕪村には責任のない話でした。

◆月並発句帖をひもとく

蕪村の『月並発句帖』から
月並でない句を拾い出してみましょう。

○ちりて後 おもかげに立つぼたん哉

散ってしまって今はない花。
脳裏にその面影が見えるのを「立つ」と表現しています。
別れてしまったあの人の面影は ともにいたときよりも愛しく感じられる。
題は恋だったのでしょうか。

○夕立や 草葉をつかむ村雀

村雀は群雀。突然の夕立に逃げそこね  あわてて草の葉につかまろうとする雀たち。
草の葉が雀の重さを支えられるはずはないのですが。

○涼しさや 鐘をはなるゝかねの声

「涼しさ」は夏の季語。
早朝でしょうか、さわやかな大気の中、 時を告げる鐘の音が、鐘を離れて彼方へ響き渡っていく。
音を視覚的にとらえた斬新さに驚かされる一句です。



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