【蕪村菴俳諧帖22】つと入りとやぶ入り
◆つと入りはプライバシー侵害?
個人情報やプライバシーの扱いについて、
現代のわたしたちは細心の注意を払うようになっています。
しかしかつてはとんでもない風習があって、
他人の家にずかずかと入り込んでもかまわなかったとか。
蕪村がこのような句をのこしています。
○つと入りや 納戸の暖簾ゆかしさよ
○つと入りや しる人に逢ふ拍子ぬけ
この「つと入り」が曲者です。
毎年7月16日、他人の家に予約も挨拶もなく「つと」入り込んで、
家財道具からなにから、勝手に見てもよいというのです。
伊勢山田地方で盛んだったため
「山田のつと入り」ともいうそうですが、
『滑稽雑談(こっけいぞうだん)』(正徳3年)には
昔は諸国で行われたと記してありますから、
近世になって伊勢山田だけに残っていたということのようです。
その内容は「家々の秘蔵せる置物道具、
あるいは嫁、娘、妻、妾の類まで、常々見たきものを望みて
客殿、居間に限らず深く入りて狼藉に見ることなり」というもの。
あり得ない! としか言いようがありません。
それはさておき、
蕪村の句にもどりましょう。
最初の句、蕪村は納戸の暖簾(のれん)に心を惹かれたようです。
「ゆかし」は「行かし」で、行きたい気持をあらわします。
あまり納戸の入り口に暖簾は掛けないと思いますが、
だからこそその奥が気になったのです。
次の句は、せっかく目星をつけてつと入りしたのに
知り合いが先に入っていたというもの。
考えていることは同じだったかと。
◆やぶ入りは薮に入る日?
つと入りの7月16日は
ちょうどやぶ入りの日に重なります。
奉公人や嫁が小正月と盆に実家に帰るのをやぶ入りといい、
季節の行事が済んだ16日に行われるのがふつうでした。
なぜ実家に帰るのがやぶ入りなのか。
薮(やぶ)の生えているような田舎だから、という説もありますが、
夏の祭りの後、男女が薮に入る習慣があったからではないかとも。
ふだんは許されないことが許される日。
それがつと入りとやぶ入りだったのでしょうか。
『滑稽雑談』の記す「置物道具」は
じつはどうでもよくて、ずっとずっと昔は
男と女の間の垣根をなくしてよい日だったのかも知れません。
○やぶいりや 鉄漿もらひ来る傘の下
鉄漿(かね)はお歯黒の液のこと。
京都では「七軒もらひ」といって、嫁入前の娘が
近所の家々からお歯黒の液をもらってあるいたそうです。
結婚が決まったのでしょう。
奉公先からやぶ入りで帰ってきた娘が、雨の中、
鉄漿をもらいにまわっているのですね。
ただ蕪村が見た娘が薮に入ったかどうかは
定かではありません。