【蕪村菴俳諧帖18】やはり野におけ
◆放蕩息子の助言
松木淡々(前号参照)の門下に
滝野瓢水(たきのひょうすい:1684-1762)という俳人がいます。
瓢水が遊女を身請けしようとする知人に贈ったというのが、
今でもよく知られているこの一句。
○手に取るな やはり野に置け蓮華草
遊女を蓮華草(れんげそう)にたとえ、
ふさわしい所に置いておけというのですね。
こんな気の利いた助言をしてくれるとは、
さぞかし立派な人物だろうと思ってしまいます。
実際はどんな人だったのか。
『続近世畸人伝』などの伝えるところによれば、
瓢水は本名を滝野新之丞(しんのじょう)といって播磨の生まれ。
千石船を七艘持つほどの豪商叶屋(かのうや)の息子でした。
しかし放蕩を尽して余りあるはずの財産を使い果たし、
すっかり貧しくなってしまったといいます。
次々と土地家財を売り払い、立ち並んでいた蔵の
最後の一つを手放すこととなったその日に
○蔵売つて 日当たりのよき牡丹哉
気にしているようすがうかがえません。
むしろ喜んでいるような…。
ある日、小川の橋を渡っていた瓢水、
踏み外して落ちるのを顔見知りの農夫が見ていて、
急いで助けに行ったところ、瓢水は
水に浸かったまま平然と餅を食べていたとか。
京都に住んでいた頃、
瓢水の貧しさを知ったある絵師が数十枚の絵を与え、
これに発句を書いて売り、生活の足しにするようにと教えてくれました。
喜んで懐に入れて持ち帰りましたが、後日
絵はどうしたと問われた瓢水、帰り道にどこかへ落としましたと。
申しわけなさそうな顔もせず、けろっとしていたといいます。
◆風狂の悟り<
瓢水は出家して自得(じとく)と名乗り、
悟りを得たと自称していました。
ひとりの僧がそんな瓢水に会ってみたいと訪問したところ、
薬を買いに出かけていて留守。
僧は帰ってきた瓢水に、
悟りを得た者が死ぬのをいやがるのかと詰め寄ります。
瓢水はそれに次の一句で答えました。
○浜までは海女も蓑着る 時雨哉
海に入れば濡れてしまうのに、なぜ海女は蓑(みの)を着るのか。
仕事の前に風邪をひいたりしないようにでしょう。
同じように、死ぬときまではきちんと生きなければならない。
瓢水の悟りの一端を見る気がします。
悟りといえば、
かの白隠禅師が好んだという句もあります。
○有(ある)と見て無(なき)は常なり 水の月
水面(みなも)に映る月は、
あるように見えても実体のないものであるという意味です。
仏教では空(くう)ということを言いますから、
白隠はこの句を説法に引用していたかも知れません。
瓢水の数々の奇行は
物事への執着のなさから生まれたものが多いように思われます。
千石船も立ち並ぶ蔵も、瓢水にとっては
水の月と同じものに見えていたのかも知れません。
気になるのは蓮華草の句を贈られた知人のその後ですが、
残念ながら助言の効果のほどは伝わっていません。