【蕪村菴俳諧帖17】化物の正体
◆水のお取り寄せ
芭蕉の弟子、其角(きかく)の門人に
松木淡々(まつきたんたん:1674-1761)という俳人がいます。
大阪出身のようですが、元祿の終わりごろ江戸で其角門に入り、
渭北(いほく)という俳号で活動していました。
芭蕉の足跡をたどって
陸奥(みちのく)を巡ったこともあったそうです。
しかし江戸から京都に移った俳人、堀内仙鶴(せんかく)が
多くの弟子をとって繁盛していると知ると、
自分も上京して祇園界隈に居を構え、
号も半時庵淡々と改めて仙鶴に対抗します。
無謀な気もしますが、
共倒れするどころか京都で成功をおさめ、
その後大阪に拠点を移して、さらに勢力を拡大していきます。
○千人餘 養ふとしのはじめ哉
この正月の句は、弟子の数が千人以上だという自慢。
養うといっても扶養するわけではありませんから、
淡々の懐は暖かいのなんの。本人も自信満々で、
「豪邁にして奢侈を好み衣服飲食殆んど王公に擬せり」(俳諧百哲伝)
というぐあいでした。
中でも人々を驚かせたのは水のお取り寄せ。
毎日のように船便で京都の水を送らせていたというのです。
たしかに王侯貴族でもなかなかできないことだったでしょう。
◆いちめんのなのはな
淡々の贅沢な暮らしぶりや傲慢な性格を伝え聞いていた 横井也有(よこいやゆう)は、本人と初めて会った印象を 次の一句に残しました。
○化物の生体見たり 枯をばな
ウワサを聞いてとんでもない男だと思っていたら、
なんだただの年寄りじゃないか、といった感じですね。
では俳人としてはどんな人物だったのか、
淡々の句を鑑賞してみましょう。
○菜の花の世界に けふも入日かな
蕪村の「なの花や」を思い出しますが、
山村暮鳥の「いちめんのなのはな」のルーツかも知れません。
穏やかな春の夕暮れが目に浮かび、「けふも」の一語で
それが何日も続いているのだとわかります。
○民は手を帯にはさむや 野分あと
庶民と武士の歩き方はちがっていました。
野分(のわき)が吹いたあとの寒空の下、庶民は前かがみで
帯に手を入れて歩いているのです。
皮膚感覚の句といってもよいでしょう。
○白露の宿かしかねる 柳かな
草木に露が宿る季節。
垂れていて風に揺れる柳には、露も宿りようがありません。
淡々は柳の姿を孤高なものと見たのでしょうか。
人間的には問題があったかも知れない淡々。
しかし作風は清新で、千人もの弟子を集めるだけの
魅力ある俳人だったと思われます。