【蕪村菴俳諧帖11】蕪村回顧録

◆亡き母に捧ぐ

蕪村の没後に刊行された『新花摘(しんはなつみ)』は 前半が発句集、後半が修業時代の回顧録という構成になっています。
「新」の字がついているのは 榎本其角(きかく)の『華摘(はなつみ)』を意識したものと思われ、 亡母追善(ついぜん)の意図があったのではないかといわれます。

追善とは死者の冥福を祈って行う善行(善い行い)のことで、 其角の『華摘』は母の追善のために書かれたものでした。

蕪村の『新花摘』巻頭にあるのはこの句。

○灌仏や もとより腹はかりのやど

灌仏(かんぶつ)は
お釈迦さまの像に甘茶や五色水をかける行事。
花祭りともいい、4月8日の釈迦生誕を祝うものです。

お釈迦さまは衆生を救うために、人間の腹を借りてお生まれになった。
人間が今あるこの世は仮の宿にすぎない。
この二つの意味が「かり」に込められています。

現代人にはなじみがないと思いますが、 当時「腹は仮の宿」はことわざのように浸透していて、 説明不要な言葉だったそうです。
蕪村は特別なことを言っているわけではないのですね。

それにしてもこの句に始まる137句は 心なしか落ち着いた作風に感じられ、 蕪村は無常を意識するようになったのかと思わせます。


◆関東奇譚

散文で書かれた後半部分は
蕪村の若い頃の活動を知ることのできる貴重な資料です。
しかしここでは、蕪村が関東在住の間に耳にした 不思議なできごとを紹介しましょう。

蕪村と同じ夜半亭宋阿(やはんていそうあ)の門下に 兵左衛門(ひょうざえもん)という人がありました。
常陸の国(茨城県)下館の富豪でしたが、 家運衰え、次第に貧しくなっていく頃、 怪しげなできごとがつづいて起りました。

ある年の暮れ、正月の用意にと桶に蓄えておいた餅が 夜ごとに少なくなっていくのです。
桶の蓋に重い石を載せてみましたが、 蓋はそのままで餅だけが減っていきます。

そこで兵左衛門の妻、阿満(おみつ)はある夜、 部屋を閉めきって灯火を明るくともし、 ひとり静かに縫い物をしながら様子をうかがうことに。

すると夜中の二時ほどかと思う頃、 老いて痩せた狐が5匹ばかり、 尾をゆらゆらと引いて阿満の前を通り過ぎていきます。

阿満が目を離さずにいると、部屋の中にもかかわらず 狐たちは広い野原を行き来するように動きまわり、 やがてふっと姿を消してしまいました。

翌日、阿満はいつもより上機嫌でこの怪異を人に語りました。
普段は雨や風の音さえ怖がる人なのに、 いったいどうしたわけだろうと、蕪村は不思議がっています。
そんなことより桶の中に異変がなかったか気になるところですが…。

『新花摘』はこのほかにも狐、狸の話題を載せ、 蕪村自身の体験も紹介されています。
眉唾といえば眉唾なのですが、 人と野生生物との距離のなさには驚くばかりです。

○戸をたゝく狸と秋を惜みけり



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