【蕪村菴俳諧帖8】鬼貫の警句

◆平明な言葉の裏に

蕪村は其角、嵐雪、素堂、去来、鬼貫の名を挙げ、 「五子の風韻を知らざるものには ともに俳諧をかたるべからず」 と記しています。(鬼貫句選跋)

知らない人とは俳諧の話をしたくない、とまで言わせた5人のうち 鬼貫(おにつら:1661-1738)以外は芭蕉の弟子、もしくは友人。
そして鬼貫だけが、知名度で劣っていました。

○鬼貫や 新酒の中の貧に処ス(蕪村)

鬼貫は酒どころ伊丹の出身でした。
新酒ができて活気のある伊丹の町で、 鬼貫は貧しく暮らしている、というのです。

実際は貧しくなかったのですが、 どうも清貧のイメージがあったらしい。
素朴で平明な作風がそう思わせたのかも知れません。

○こひ/\といへど 蛍が飛んで行く

鬼貫8歳の作。
子どもらしくてほほえましい句です。

鬼貫はこのような平明さを終生保ちつづけました。
この姿勢は、民衆の文芸として発達した 俳諧の伝統を守ったと評することができるでしょう。

『鬼貫句選』上巻の最後に、こういう句があります。

○人間に知恵ほどわるい物はなし

あっけないほどわかり易いように思えますが、 おバカがよいと言っているのではありません。
知恵に驕(おご)るのがよくないというのです。

耳の痛いご指摘。わたしたちは知恵に頼って よからぬことをしてしまいがちです。
つい最近も科学技術という知恵に驕り、 取り返しのつかないことをしてしまったような気が…。

鬼貫の句はつい、さらっと読み流してしまいがちです。
わかり易さの裏側にある思いを読みとりたいものです。


◆まことの外に俳諧なし

鬼貫は著書『独ごと(ひとりごと)』の中で、 口にまかせて面白いことを言うのが俳諧ではないと述べ、 「おのづからのまこと」が尊いとしています。
作意のある俳諧は好ましくないというのです。

素直でひねりの少ない作風は そういう考えから生まれたものなのでしょう。

○行水の捨どころなき 虫のこゑ

行水で使った盥(たらい)の水を草むらに捨てようとしたら、 どこからも虫の声がするのでためらってしまったと。
作者の心情を読み手が難なく共有できます。

○なんとけふの暑さはと 石の塵を吹く

暑かった一日。夕涼みにと路傍の石の塵を吹き払う一瞬。
石にはまだ昼間の熱がこもっていたかも知れません。

○むかしから穴もあかずよ 秋の空

穴のあくほど見る、といいますが、 冗談のように思えるこの句によって、鬼貫は 秋の空を見て詩や歌を詠んできた 多くの先人たちに思いを馳せています。

自分もその流れを受け継いでいるのだという 自負を込めての句なのでしょう。


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