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  【蕪村浪漫1】 月は東に
 

 

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◎はじめに
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与謝蕪村は享保元年(1716年)摂津の国(大阪)の生まれ。
若くして江戸に下り、宋阿(そうあ)に俳句を学びます。

その後は芭蕉の足跡をたどるように東北を旅し、
宇都宮など関東各地でも活動。さらに35歳のころ京に上り、
寺社見物などをしてから丹後の見性寺に身を寄せ、3年ほどで帰京。

京都を活動の拠点としたのは40歳を過ぎてからでした。
亡くなったのは天明3年(1783年)12月、享年68歳。
京都市下京区には「与謝蕪村宅跡」と刻まれた石碑が立っています。

詳しくは→こちら(http://www.buson-an.co.jp/fs/okaki/c/gr11

芭蕉の陰に隠れた感のあった蕪村を再発見したのは正岡子規。
蕪村を「郷愁の詩人」と呼んだのは萩原朔太郎でした。

京都六角蕪村庵がお届けするメールマガジン『蕪村浪漫』は
独自の視点から「京都を愛した詩人」「人生を謳歌した俳人」、
そして「放浪するアーティスト」としての蕪村を描き出します。

第1回目は春。絵画的といわれる蕪村、
どんな春を描いたのか、見てみましょう。

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◎蕪村のたくらみ
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与謝蕪村の春の句といえば、
まず思い浮かぶのがこの一句ではないでしょうか。

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○菜の花や月は東に日は西に
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「安永3年3月23日即興」と記された蕪村の代表作です。
日が西に傾いた春の夕方、東の空にはもう月が昇っている。
地上の菜の花は夕日に染まっているのでしょうか。
情景や色彩があざやかに目に浮かぶ、いかにも蕪村らしい句です

ところで、丹後地方には当時

 月は東にすばるは西に、いとし殿御(とのご)は真ん中に

という盆踊り歌がありました。
蕪村の時代(明和年間)に出版された
『山家鳥虫歌(さんかちょうちゅうか)』という本に載っているのです。

上述のように蕪村は丹後に3年ほど住んでいました。
「菜の花や」の句はそれから20年ほど後になりますが、
菜の花畑の上に昇る月を見て、丹後で聞いた歌を思い出したのか、
都でも丹後の歌が歌われていたのか、どちらかでしょう。

恋の歌を風景の歌にちゃっかり借用してしまった蕪村。
これは和歌の「本歌取り(ほんかどり)」と同じです。
パクリではなくて、活かすのです。

本歌を知っている人には「菜の花や」の句も印象がちがってきそう。
暮れていく菜の花畑で空を見上げているのは、
あなたとわたし…。
蕪村は恋の季節を暗示してみせたのではないでしょうか。


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◎春眠暁を覚えず
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春たけなわ。
京都もだいぶ暖かくなってきました。

蕪村には京都の春を詠んだこういう句があります。

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○ねぶたさの春は御室の花よりぞ
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京都右京区御室(おむろ)の
仁和寺(にんなじ)には遅咲きの八重桜があり、
江戸時代から庶民のお花見スポットとして親しまれています。

この句は
御室の桜の咲くころから暖かくなり、
眠いほどになるといっています。

ちょっと当時の観光ガイドブックを見てみましょう。

 「都鄙の一重桜は立春より六十日を盛りとす。
  吉野は六十五日、奈良京都の八重桜は一重桜に十日余り遅し。
  (中略)仁和寺の桜は洛中よりやや遅く、鞍馬・高雄の桜は
  仁和寺より遅きがごとし」(年中重宝記)

テレビやネットのお花見情報がない時代、人々は
ガイドブックを頼りに開花期の異なる名所を順々に訪れていたのでしょう。
洛中よりやや遅いと書かれている仁和寺では
例年4月の20日ごろに「さくら祭り」が行われます。

仁和寺は1994年に世界遺産(古都京都の文化財)に登録されました。
創建は古く、仁和4年(888年)のこと。

出家した宇多天皇が御室を建てて住んだため、
仁和寺には御室御所(おむろごしょ)という別名がありました。
宇多天皇は「寛平の治(かんぴょうのち)」という政治改革を行ったこと、
菅原道真を登用したこと、史上初の法皇となったことで知られます。

由緒ある仁和寺の御室桜。
しかしこの桜は木が小さかったので「お多福桜」とも呼ばれました。
花(鼻)が低いから「お多福」。
こんなはやり歌も伝えられています。

 わたしゃお多福 御室の桜
  はなが低ぅても 人が好く

背が小さいだけでなく枝のつき方もほかの桜とちがう、
個性派美人といった感じのお多福さん。
毎年多くの花見客を魅了しています。

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◎架空の人物に会う
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蕪村は優れた絵師としても知られています。
逸翁美術館所蔵の俳画(はいが)に
花見酒で千鳥足になった男の絵があり、

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○又平に逢ふや御室の花ざかり
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という句が書かれています。
画像は→こちら(http://www.buson-an.co.jp/fs/okaki/c/gr11

又平(またへい)というのは絵師の名前で、
浄瑠璃『傾城反魂香(けいせいはんごんこう)』の登場人物。
江戸初期の岩佐又兵衛をモデルにしたものといわれ、
物語の中に喜んで踊りだすシーンがあるとか。

蕪村は御室の花見で浮かれて踊る男の姿に
人気浄瑠璃の登場人物を重ね写しにしたのです。
意外なものの取り合わせ、これも蕪村の得意技でした。

桜の下に花筵(はなむしろ)や毛氈(もうせん)を敷き、酒と肴をしつらえ、
三味線に合わせて歌い踊るのが
江戸時代の庶民の「安近短」な行楽。
今ではカラオケ、レジャーシートに変わっていますが、
基本のところはそのまんまな気がします。

 


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