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  【蕪村菴俳諧帖6】 笑えなければ俳句じゃない
 

 

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◆笑って生まれた江戸俳諧
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宗祇(そうぎ)や宗鑑(そうかん)が
江戸俳諧の礎を築いたというのが前回までの話。
しかしかれらは連歌師であって、
俳句は連歌の会の余興に過ぎないものでした。

それを芸術の域にまで高めたのが芭蕉(1644-1694)。
その芭蕉も、門人たちとたびたび連句の会を催していました。
連句は連歌と区別しづらいのですが、
おかしみ、ユーモアのあるのが連句と考えればよいでしょう。

連句のうち発句の部分の独立したものが、
のちに俳句と呼ばれるようになったのです。
※発句についてはバックナンバー【蕪村浪漫17】参照

ということは、発句はユーモアのあるものが本来の姿。
室町時代に編まれた最古の俳諧撰集
『竹馬狂吟集(ちくばきょうぎんしゅう)』には
こんな愉快な句が載っています。

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○かへるなよ 我びんばうの神無月
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神無月は神さまが留守になる。
我が家の貧乏神も出かけているはずだが、
どうか帰ってこないでもらいたいと。

この伝統は江戸時代初期の俳諧師に受け継がれました。
たとえば西山宗因(そういん:1605-1682)の句。

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○白露や 無分別なる置所
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所かまわず露が降りるのを「無分別」としたおかしさ。
言葉の選び方に初期俳諧らしい特徴があります。

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○腹筋をよりてや笑ふ 糸桜
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こちらは芭蕉の師で学者でもあった
北村季吟(きぎん:1624-1705)の作です。
風に揺れる枝をお腹をよじると見たてた面白さが特徴。
「笑ふ」は「咲く」と同義です。

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◆批判された松尾芭蕉
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宗因の門人の在色(ざいしき)という人が、
芭蕉は独学だったので俳諧を詳しく知らず、
句は悪くないが下手な連歌のようだと書いています。
(俳諧解脱抄)

宗因一門の流儀からすれば、芭蕉の作風は滑稽味に乏しくて
俳諧らしくないと感じられたのでしょう。

それに対して芭蕉の門人、伊賀の土芳(どほう)は、
俳諧が生まれて以来、人々は滑稽にばかり夢中になり
誠(まこと)というものを知らなかったと言います。

難波の宗因は自由な作風で世に知られたが
まだ言葉をあやつることに気をとられていた。
そこに我が師匠(芭蕉)が現われ、俳諧は初めて誠を得たのだと。

のちに俳聖と讃えられることになる芭蕉も、
最初からすんなり受け入れられたわけではなかったようです。



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