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  【蕪村菴俳諧帖4】 俳諧の創始者
 

 

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◆宗祇のひげ
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蕪村の遺稿の中に、このような句があります。

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○祇や鑑や 花に香?ん草むしろ
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読みは「ぎやかんや はなにこうたかん くさむしろ」。
「?」は「焚」に同じ。花の下に草筵(粗末なむしろ)を敷いて
香を焚き、句を詠んで楽しみましょうというのです。

そう呼びかけられた「祇」は宗祇(そうぎ 1421-1502)を、
「鑑」は宗鑑(そうかん 1460頃-1540頃)を指し、
どちらも室町時代の連歌師(れんがし)の名前です。

このうち宗祇に関してはこのような句も

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○髭に焼香もあるべし ころもがへ (荷兮)
○青柳も 宗祇の髭の匂ひかな (園女)
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荷兮(かけい)も園女(そのめ)も
宗祇の髭(ひげ)と香を題材にしています。

これは宗祇が髭に香を焚き染めていたという言い伝えから。
宗祇は髭宗祇と呼ばれるほど美しい髭の持ち主だったそうです。
『宗祇諸国物語』や『扶桑隠逸伝』にも髭にまつわる逸話があり、
盗賊に髭を奪われそうになった宗祇が歌を詠んで盗賊を和ませ、
あやうく難を逃れたという話もあります。

荷兮の句は宗祇秘蔵の香を持っているという知人に贈ったもの。
園女の句は春風に揺れる柳を宗祇の髭に見立てたものです。

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◆敬愛される大先輩
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宗祇は公家や上級武士の多く住む上京に居を構え、
連歌師として当時の上流階級と広く交わりました。

また生涯を通じて各地に旅しており、
連歌界の漂泊の詩人とも呼ばれます。
これは和歌の西行、俳諧の芭蕉に並ぶものであり、
芭蕉の行脚(あんぎゃ)は宗祇の影響だと指摘する人もいます。

宗祇の句で有名なものは

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○ひととせの 月を曇らす今宵かな
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一年間楽しみに待っていた仲秋の名月が
雲に隠れてしまったのを嘆いた一句。また

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○世にふるは さらに時雨の宿りかな
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これは『新古今集』にある二条院讃岐(にじょういんのさぬき)の歌

世にふるは苦しきものを 真木の屋に易くも過ぐる初時雨かな

を踏まえたものです。
宗祇を崇拝していたという芭蕉は
このような句を宗祇に捧げています。

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○世の中は さらに宗祇の宿りかな
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俳諧の世界が宗祇のお陰を蒙っていることを
「宿り」の一語で表しています。

連歌の余興のひとつであった発句を独立させ、
文学としての価値を高めていったのが芭蕉たち。
その大先輩として、宗祇は敬愛されていたのです。



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